講座と公演の感想

講座を振り返ってまず思うこととしては、毎回の稽古で、生西さんに自分をまあよく見ていただいた。こんなに人に見てもらったことは大人になってからない。アフタートークで、自分は生西さんに作ってもらったみたいなことを言ったけど、それは動きをつけてもらったというだけでなく、ひたすらに見てもらうということ自体においてだ。あるとき稽古の帰りに、「生西さんは本番緊張しますか?」と聞いたら、「僕が一番緊張します。本番はもう見ることしかできないから。」と断言していて、それほどまでに自分事として見るということをしているのか、と今更ながら驚いた。だがその後、私が公演のフライヤーを3枚しか持ち帰っていなかったことがばれ、それには流石に腹を立てていたようだった。私は謝罪した。(結局どこにも配れなかった。)


講座って毎週何やってたの、と佐々木敦さんも不思議がっていたが、初回から受講生それぞれがやりたいことや興味あることを話し、それから台本なりを用意して、それを全員で順番にやってみる、ということを繰り返していた。そのうちにそれぞれが別々に作品を作ることになったのだが、そうした(多分3人の様子を見ての)方向性の決定や、その後も人を呼ぶだとか、ともすれば怯みがちな受講生の意志に対する生西さんの差配や促しが絶えず働いていた。


3人が別々に作品を作り始めた当初、私は何かちょっと書いてきては、次の週に全部撤回する、ということを繰り返していた、するとある日の帰り地下鉄車内で太田さんが、「これは半分自分に言うんですけどね、なんか、自分がいきなりすごい傑作作れるとか思ってるから何も書けないんですよ、そうじゃなくて、内心どんなにこんなものどうにもならないと思ってても、そんなことは口にも出さないで、義務だとでも何とでも思ってやるしかないんですよ。私はそうしてる、そんなのでもやらないよりは100倍マシだから。それすらしないで今までズルズル生きてきたから、今こんなクソみたいな状況にいるわけじゃないですか、それを変えたいと思ってここに来てるんじゃないんですか、それでやらなかったら、何のために来たんですか?」と叫び、新宿で降りていった。アツいなと私は思った。そんな感じで、それぞれアイデンティティを懸けていた感があった、ように思う。


演劇を人間をやる練習だと思っている、初めて小演劇を見たとき、ウンゲツィーファの転職生だったけど、最も感銘を受けたのは単純に舞台と客席が同じ高さであることだった。だから私は別に俳優でも何でもないけどやっていいのだと思ったし、本番もそのつもりでやった。


以前坂口恭平ツイッターで、僕は本当は僕の本を読んでくれる人にお金払うべきだと思っている、なぜかもらえるからもらっているけど、と言っていて、ちょっと分かるなと思った。稽古を通して、自分の書いたものを人に読んだり、発話したり、動きをつけたり、あと演技とかも観てもらったりする機会に接し、非常なありがたみを感じる。その過程で自分や自分の書いたものが、元の意図とは違う風になっていったりするのだけど、それが人と混ざる面白さなのだと思うようになっていった。


お金が介在する関係は特に、与えるのと受け取るのが一方向的なものと一見見えるが、実際には一方から他方に何かが流れるとき、同時に逆方向にも別の何かが流れているのではないかと思う。その二つの流れをできるだけ見るようにしなければと思う。そうした非対称だが相互的な経済、またはそうして人と人が関わるときに生じる幸福や危険に興味がある。


話を戻すと私は12月くらいまで自分自分、自分がどう感じるかみたいなことばかりこだわっていて、具体的に何も進まず、生西さんと瀧澤さんにはとても我慢していただいた。そのころのメールなどは読み返すだに辛いものがあるが、瀧澤さんが「これは冨田さんにとっての大きなチャンスであるのにな、と私は思います。こんなにたくさんの協力者がいるのにと。ひとりになんていつだってなれるから。」と書いてくださっている、そのひとりに講座が終わって再びなっているわけだけど、次行き会うときに恥ずかしくないようでありたいなと思う。scoolに入ってからの空気は忘れがたく、初作品を発表する場所として、余りにも恵まれた場だったと思います。講座と公演を通して関わることができた皆様、本当にありがとうございました。それから生西さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。