はツアーパフォーマンスということで、私は青山霊園などに行って、既に言語化された歴史を教えてもらうのだろうと思っていたがそうではなかった。
作品とは関係ないが、帰り道の横断歩道で、奇妙な横向きの歩き方で口をモグモグさせているお婆さんがいて、後ろ姿を見ていると、長袖をかなり上まで捲った。
私は先月広島に行きました。普通観光となると、何か歴史的な出来事があった場所で解説を読み、今ここにはない、かつてあった大事な何かに思いを馳せる、というのが王道だが、シティの舞に関しては、コンクリートの何かの痕跡なら痕跡をそのまま見ていた印象がある。これは何でしょう、調べましたが結局分かりませんでした、とか、(目隠しをしているので)あそこまで連れて行ってください、と言われてそこに着くと(目ぼしい何かがあるわけでもなく)ではあそこまで行きましょう、などと言って進んでいた。胡乱な言い方をしてしまうと、歴史が立ち上がらない(つまりほぼいつもの)風景を見るというか。
そして、ネズミの糞が落ちていますと言われる辺りでの雨垂れの跡?とされる土の盛り上がりの線や、建造物の連続する断層など、その意味を発見したという主張もされていたが、本当なのだろうかと寧ろ思った。最初私はchatGPTに都度聞いたりしていた、がそれより、とにかくその辺りに長期間いた結果見つけたものなのだろうという、そちらの肉体側からの感じられ方を思った。
そうした独自研究的な着目には、救われないものの救われなさへの接近、吸着、接触、果ては同化の途上を感じさせる、かなりグッとくる(喉の詰まりのような)ものがある。岩下拓海さんがナチュラルにそのような存在である、とまでは思わなかった(27歳だから)。単に私がそうなだけかもしれない。しかし「かつてこの辺りに変な人が滞在と称してずっといて…」と誰かのツアーパフォーマンスの題材の側と寧ろなる勢いの片鱗があるように思った。