ミミズ

おれはミミズが好きだ。アスファルトの上で死んでいる姿だけではなかった、あの有機的な姿、気持ち悪いということは生理的だということだ、肛門と口、内臓と皮膚が直結している、あれほど直接的な姿があろうかね。うごめく、そして切っても死なない。どないやねん。地中を駆ける、あの輪っか、腸のような蠕動、生理そのもの、表象と機能、オーガニズム、以前は露悪的に注目していたが、今思ったのはおれはミミズが好きだ、ミミズになりたい、ミミズを目指すべきだ。彼女はカエルが好きだ。カエルも表面がヌルヌルしているという意味では似ている。境界が曖昧だということだ。何かが浸み出している。坂口恭平が土と言ったから、内と外の交通の宇宙に気づいたのだった。思えばおれは拒否していた。バリアを張っていた。エヴァンゲリオン世代だからだ。だが今からはミミズになっていこうと思う。そういえば気持ち悪いが最後のセリフだった。通り過ぎる!ミミズこそ筒であり全てを通過させる。ミミズよ、生きたまま魚の餌とかになってしまう無防備な命よ。そのまま食用になってしまう、鳥とかにとっては殻も何もついてない、踊り食いの生のごちそうに見えるのだろうか。柔らかいし。牙もないし。抵抗という抵抗もしないし。ツルっといける。問題は動くということだ。問題というのはおれにとっての問題で、鳥には問題がない。なぜ動くと気持ち悪いのか。気持ち悪いというのはセンサーとして重要だ、そこに私のATフィールドがあるので。鳥は、口の中で踊っている食物を美味に感じるかもしれない。食感として楽しんでいるかもしれない。人間はイクラを食べるとき食感を楽しむ。形の食感は楽しむ、なぜ動きの食感は楽しめないのか。一部の小さな魚の踊り食いというのはある。例えはセックスは逆で、相手が動く方がいい。反応がある方がいい。ネクロフィリア、反応が無いほうがいいという人もいる。そういう人はそれくらい人間も恐れているのか、あるいは食べることのように、自分が触ることは相手にとってデッドリィに不快で致命的なことだと思っているということだ。暴力行為としてしかセックスを行えないから、すでに死んだ相手を相手にするということだ。私は相手は動いている方がいい。それは相手にとっていいことをしていると思っている、思いたいから、それを確認したいからだ。境界に鳥肌が立つ。おれは相手の快感を想像して脳内麻薬を分泌させる。それで陶然としながら相手の体の表面を指先で触り続けるのだ。もどかしい、だが破裂してはならない。この状態を保つのだ。ここでアキレスの比喩が出てくる。アキレスは亀に追いつかない、それは不幸なことみたいに第三者視点の人々から言われるが、アキレス視点で言えばずっと幸福であるはずだ。目標に近づく一方なのだから。一度も遠ざかりはしない、興奮状態がずっと続いている、ずっと気持ちいいのではないだろうか。ブラックホールに吸い込まれそうな人は地球からは止まって見えるそうだが、星座のようにその気持ちいいままで停止しているのだ。とはいえ、その第三者というのも、光の速度の問題があるから実際にはそんな風に観察するのは難しいわけで、だって光が吸い込まれるのがブラックホールなのだから、その観察者の立場がおかしいということだ。空に貼り付いたアキレス。アキレウス。それを笑う者を信用してはならない。そんなやつはいないのだから。仮定の、本当はそこにいないのに後からいたからのように言う卑怯者なのだから。セックスしているときにそこにいたら問題になるだろう。梅しゃんのように。ともあれ、そう今の問題は、動くものを食べるときに気持ち悪いと思うことについて、気持ち悪いと思うことは共感の拒否、撥ね付けである、相手が動いているのは、その苦痛を想像することが猟奇的であるから、動いているものを食べるのは非人間的とされている。だがおれは、理科の教科書に載っていた、芋虫を食べるカエルの表情をよく覚えている。なんというのか、あの合意済みみたいな顔。相手も了解してますから、みたいな、全く悪びれない動じることのない表情。例えば食べることを悪いと思っていない。だって自分も同じように、あるとき一瞬にして鳥にさらわれて食われるんだから。私が食べている、相手がもがいて動いている、そのことを同じ生命として納得できれば、動いている相手を食うことは可能だ。セックスのように。しかし痛いのではないだろうか。デッドリィに痛い。というかまさに死んでいるところなのだから。死の痛みを、究極的な私の放棄として受け入れるということか。心頭滅却すれば火もまた涼し。予測変換で全文出てきた。織田信長軍に殺された坊さんの死に際の言葉が、Windowsの予測変換にてできた。このように、死はあらゆるところに含まれているというわけだ。何食わぬ顔で取り込まれている。死骸が土に取り込まれるように。リベラルという意味での人間的でない原理によって。それは人間社会の中にも入り込んでいる。気づこうとしていないだけだ。人間の社会も沃野であり、ツイッターなどの上澄みしか人は普段見ていないということだ。何の話だったか、そう相手を食べること。自分も食べられること。自分が食べられる時、痛いと泣き叫ばないだろうか。それとも痛みを観察し続けられるだろうか。私を他者にし、その食物連鎖を直観できれば、その死をこの世界に当然のものと悟り受け入れることができる。こんなことあるよなと。俺ミミズなんだから。このまま生きていて、どんな一生を過ごすということもなし。今までと同じだ。ミミズにはライフサイクルはあるのだろうか。生殖はするのだったか。「多くのミミズ類は雌雄同体である。生殖時期になると、二頭の成体が体を逆方向に向けて環体部分の覆面を接着することにより交接を行い、精子を交換する。」気持ち悪。などと言ってはいけない。生殖はするらしいが、自分と同じものと出会い、増える、「交接後、ミミズは環体の表面に筒状の卵胞を分泌し、これと体の隙間に複数の受精卵を産卵して栄養物質を分泌する。産卵と分泌が完了すると、首輪を脱ぐように卵包を頭部の方向に送りだし、頭部から離脱すると、筒状の卵包の前端と後端が収縮して受精卵と栄養物質を密閉する。」ミミズの卵というのがあるんだな。「名称は「目見えず」からメメズになり、転じてミミズになったとも言われ、西日本にはメメズと呼ぶ地域がある。」ミミズには目がない、これは私にとって重要なことだ。見えないのに生きている。私も同じだ。見えない存在の不気味さ、その独自の世界認識、それが外から見てある種の存在感になる。だがその存在感というのは、アキレスを見る第三者と同じように、遅れているものだ。アキレスは収縮するミミズなのか。前に進むために体の前の方を収縮させ続ける、ばねのように縮みながら進み続ける、永久に爆発への力を溜める、あの定規自体が一本のミミズなのだと言えるかもしれない。第三者もまたミミズである。そちらに向かって伸び続ける、ブラックホールに吸い込まれる人に向かって吸い込まれ続ける、そのことに気づいていないのか?私も今気付いていないのだろうか。気づいていないというのは、自分が客観的な正しい判定者の場所にいると勘違いしているということだ。対象に向かって伸び続けているとき、それが正しいか間違ってるかは気にしない。それは発見であるからだ。ブラックホールに吸い込まれている人を発見した!という興奮によって進んでいるからで、彼は永遠に亀に追いつきはしないだろう、などという興ざめなことは言わない。なぜ追いつかないと分かるのか。それは、追いつかないという結論を元に作った話だからだ。実際は追いつくかもしれない。ずっと見ていたら。とにかくそこに向かう、向かうことが愛だと言っていた人がいたが、その意味はよく分かる。ミミズの伸びだからだ。同じものは止まっている。違うものは分かれている。似ているものは、近づいていく。あるいは、似ていると思われたものは。そこに無限の接近がある。そして接近というとき、それは前方へだけの接近ではない。なぜなら私はミミズだから、ミミズは目がないから、前方という観念もないから。前にあるものだけを書いてはいけない。横にあるものも、後ろにあるものも書かねばならない、そうすれば私は全身が目であり、腫れあがる〇〇〇〇であり、空間を産む。産卵である。ここまでで3443文字。あと557文字書けば10枚ということか。ここまでで一時間半くらいだ。書くことはミミズとなって自分の土を耕し経路を縦横に張り巡らしどこからどこへでも抜ける道を開拓し続けることである。有機的に書くということの意味と効果をようやく知った、坂口恭平のおかけで。何度も同じことをする。毎日。蠕動をヴァイブスとしていきたい。どこにも通じない。自分自身がお通じである。そこは恐山であり、ミミズはお通じ様と言われ畏れ敬われている。そんなことも言っていきたい。今日は5時に起きた。22時半に寝た。夢で素人出演者みたいな感じで舞台に立っていて、妖怪人間ベラみたいな恰好をしていて、カメラに向かって舌を出して、その下は真っ黒にマジックで塗られていて、それで放映しているwowwowについての批判を言って舞台を降りた。舞台を降りると、主催者である踊ってばかりの国の下津さんが、疲れたような顔をして何かコメントをくれた。私はバンドTシャツを買いに来たのだった。今日の睡眠効率は悪かった。だが寝覚めは良かった。雨だしそろそろ仕事に行く準備するか。仕事中にもなるべく無意識を作動させるようにできればいいのだが。ズボンを脱いで事務仕事をするとかだろうか。分からない。考える必要がある。終盤、かなり尻切れトンボになってしまっている。頑張っていきたい。これで4024文字だ。