181121

他人は鏡だというけど、反対のものだとも思う。
鏡は自己意識を向こうにやり、他人はこっちにいる自分を意識させる。
 
ナルシシズムというのは向こうにいる自分に囚われ続けることなんだろう、それを諦めるときというのはちょっと絶望?みたいな味がある、こっちにいる自分はつまらなくなにもできず、そこで初めて他人を見るしかない。となる。
 
ipadで自分を撮りながら発声練習とかし、そのあと見ている。目が泳いでるなと思う。どうやってものを見るのか、ものを見るには見ている・こっちにいる自分をちゃんと捉えてなければならない。私はすぐ上の空になる、そうすると視線もなくしてしまう。私が自分を軽薄だと感じるのは、この基盤の欠如にあるのだろう。ちゃんと絶望していきたい。
 
ものを見るとき、同じくらい見返されていると意識しなければ見ることはできないってことだ。そう考えれば、見ることも相互的なものとすることができる。
 
自分が見れない人の話、世にはナンパ師という人がいて、新宿歌舞伎町の路上でホストみたいなウィッグを被り、カラコンをして若い女に声をかけ続けている。その人は45歳くらいで、それをもう多分20年とかやっている。人々は通り過ぎていくが、彼だけが流れの中腕組みをして立ち続け、女を品定めし続けているのだ。あるときそこにロボットレストランの宣伝トラックが通り、意味不明な配色の強い光で彼を背後から照らした、すると身につけていたホスト風の服と金髪のカツラから、干からびた皮膚の彼自身だけを浮かび上がらせ、その姿はミイラのように見えたという。この話はどこかで聞いたのか、自分でイメージしたのか忘れてしまった。今ではその場所には寺が建っているらしい